Tragedy
〜 壊れゆく世界へ 〜
目覚め
望まない、望んでなんかいない。こんなことを望んでいない。
【異界人】との戦いで、体の大半を失った。死ぬはずだった体を回収したのは、良い噂を聞かない研究員。
魂とは一体どこにあるのか。心臓か、それとも脳か。
脳はかろうじて人間のものだ。心臓は、既に機械になっている。
人造人間。
それが、突きつけられた現実。
己の魂はどこにあるのかと、己に問いただす。けれど、答えは見つからない。
死にたかった。あのまま死んでいられたらどんなに幸せだったか。
今はもう、ただ【異界人】たちを殺す兵器になった。
イリア。
俺にはもう、お前を愛することができない。
人としての心は、一体どこにあるのか。
機械の体になり、もともとの人間の部分が少なくなり、悩むようになった。
ひょっとしたら、俺の心は既に失われているのかもしれない。
イリア、俺はお前を愛せない。
泣かないでくれ。俺はお前を守って死ねるなら、幸せなのだから。
◆
サイケが目を覚ますと、目の前には眩しい光があった。あまりの眩しさに目を細めると、誰かの声が耳に入ってきた。成功だ、成功だ。そんな声が聞えた。何が成功なんだ、とサイケは起き上がろうとしたが、自分の体がまるで自分の体ではないかのように重かった。起き上がることができないまま、サイケは辺りを見渡した。巨大な装置。心電図を測る機械。その他大勢の機械と人がサイケを取り囲んでいた。一体何がどうなっているんだ、とサイケは拳を握った。その時、違和感を感じた。握った拳が、指先が手のひらに包まれる感触が硬いのだ。不思議に思ったサイケは、視線を右手へ移動させた。
自らの手を見て、サイケは絶句した。光を受け、輝く金属。その塊が、自らの腕となっていた。悲鳴を上げたが、その悲鳴は声にならなかった。混乱で頭が回らない。辺りを見渡す。よく見ると、サイケを取り囲む人間たちは皆、白衣を着ていた。医者ではない。ならば何か。サイケの中で答えは簡単に見つかったが、同時に背筋が凍るような思いをした。
研究員。
その事実は一種の死刑宣告のようだった。サイケはその事実を信じられず、呆然としていた。彼を現実へ引き戻す冷酷な声が聞こえた。
――被検体第八十七号。人間名サイケ。一週間の戦闘訓練ののち、前線へ投入する。
暗い闇がサイケの心を支配する。絶望だ。絶望しかなかった。
◆
「――ねぇ、知ってる? 新しい人造人間の噂」
「知ってる死ってる。なんでも、この間の戦闘で死に掛けた人を使ったんだってね」
軍の女たちの噂話に聞き耳を立てていた白銀の髪の女――レイラは、誰にも気づかれないように小さなため息をついた。噂話をしていた女たちは諜報部の者たちだ。レイラは真紅の瞳を細め、忌々しげに唇を噛み締める。
背を預けていたロッカーから離れると、自室へと歩き出した。底に鉄板を仕込んだブーツが、カツカツと歩くたびに音を立てる。その音に気づいたのか、女たちは慌ててその場から立ち去る足音をレイラは微かに聞いていた。
「……どうなっているんだ、ここは」
吐き出された言葉には毒があった。
近頃、軍内部が妙な空気になっている。上層部は【異界人】との戦いが長期化するにつれ、非人道的なことまで手を出した。その一つが、人造人間だ。また、前線部隊は疲弊していく一方で、慰み者にと無理矢理役に立たない女が連れて行かれることも多い。そのため、軍内部で失踪者が増加している。だが、誰がどこに連れて行かれ、誰がどの戦場で死んだのか、それさえも分からない。居ない者の捜索に割く時間などない、と言わんばかりだった。居る者を使い、新しい人間をどこからか連れてくる。それがどこからなのかは分からない。軍において、前線を指揮するほどの実力を持つレイラでさえ、それを知らない。軍は、秘密が多すぎるのだ。
妙な空気の原因も分からなかった。
ただ、数日前の戦いでレイラの友人が生死不明となった事実はレイラ自身に重くのしかかっていた。
「……あの馬鹿、一体何をやってるんだ……」
レイラがそう、吐き捨てるように呟いたときだった。
「レイラさま、ですか?」
突然かけられた声に、レイラは振り返った。視線の先に居たのは、書類を両手に抱えた少年だった。その姿を見て、レイラは眉を寄せた。少年はまだ十五にもなっていないような子どもで、軍に居るべき存在ではなかった。一瞬、どこからか迷い込んだ子どもか、雑用として働いているのかと思ったが、そうではないとすぐに分かった。少年は、似つかわしくない兵士の服を着ていた。一番下っ端、一等兵の服。軍内部で最も死ぬ確立の高い位の服が目に留まったからだ。
――こんな子どもにまで戦わせているのか。
そう思ったレイラだったが、それはすぐに掻き消された。その子どもを使ってまで戦っているのは、レイラたち指揮官だからだ。
「これ、書類です。レイラさまに、渡すように言われてきました」
「ああ、ありがとう」
少年の姿に、レイラは軍が嫌になった。
書類をレイラに渡すと、少年は「失礼します」と一言だけ言って立ち去った。その背をレイラは見つめる。
――少年の目は、死んでいた。生気が感じられない瞳に、レイラは彼は機械になってしまった、と目を伏せた。軍はどこからか連れて来た新人兵士たちの教育に、過激なことをしているらしい。そんな話を聞いた。少年の姿を見れば、その話に信憑性が感じられてしまった。信じたくは、なかった。
レイラは息を吐いた。そして、書類に視線を移す。書かれていた内容に、レイラはぴくりと肩を震わせた。
「イリア!」
叫ぶように友人の名を言い、レイラはすぐさまイリアの部屋へ駆けて行った。
――人造人間、戦場へ追加投入決定。被検体第八十七号。人間名サイケ。三日後、前線に投入。
それは、レイラにとって友人が生きているという事実を知らせると同時に、友人が既に人間ではないということを知らせるものだった。