Tragedy

〜 壊れゆく世界へ 〜

孤独




「――今度のは、ちゃんと使えるんだろうな」

 誰かの声がする。誰かの声が聞こえる。聞いたことのない音がする。機械の耳は拾った音を文字化して、把握する。それが何の音が自動的に解析してくれる。便利な体になったものだ。
 忌々しい。この体が、この事実が。

「それは、実戦で試されれば分かること」
「……もう一体、借りていくぞ。前線に配置する」
「では、エフを派遣しましょう」

 下種な笑みを浮かべる科学者。見下したような笑みを浮かべる男。
 ――嗚呼、どちらも殺す力が俺にあるならば。
 俺は思考を停止して、静かに目を閉じた。



   ◆



「サイケ、起きなさい」

 頭の奥底に響く機動音を聞きながら、俺は目を開いた。目の前に現れたのは、記憶にある顔だ。白銀の髪に緋色の瞳。アルビノ特有の白い肌。神秘的で美しい女――レイラが居た。視界にレイラに関する情報が表示されていく。年齢、階級、身長などの個人データに至るものまで、メモリには記録されているらしい。
 この体になり、数日の戦闘訓練のお陰か、頭は冷静だ。友人に会っても動揺しない。心までも機械になってしまったのでは、と思うが、焦りも感じない。

「レイ、ラ」

 名前を呼ぶと、彼女は微かに目を見開き、嬉しそうな顔をした。「名前も忘れられているかと思った」と口にした。
 実戦投入を優先した結果、記憶の消去はされなかったようだ。体の動かし方は教え込まれた。前線の感覚は記憶に残っている。この体は、敵を殺すことに特化したもので、戦いにおいては不自由しない。――それが、余計に苦しい。

「ここは前線近く。起きてすぐで悪いけど、実戦に投入されるわ」
「……問題ない。ここに来たということは、そういうことだ」
「前線には別の人造人間が先に配置されてるわ。君もそこに」

 そう言ったレイラの顔は酷く悲しそうだった。涙は流れていなかったが、拭えるなら拭ってやりたかった。以前はそれをして、よくレイラに怒られていた。君に慰められる程、私は弱くない、と口にしながら。
 レイラは強い。防具をつけず、武器をいくつも装備して、戦場に立つ。前線で敵を切り伏せ、銃で撃ち殺し、臨機応変に狙撃する。返り血で白銀の髪は赤黒くなる。大昔の神話で出てくる戦乙女が今の時代に実在するならば、それは彼女のような人のことを言うのだと思う。

「私たちは、援護に回るから」
「了解した」

 起き上がり、手を握ったり開いたりして動きに問題がないか確認する。視界は良好。スコープ機能にも問題はない。俺の任務は【異界人】の殲滅だ。レイラたちに被害がないようにするため、前線に立つ。

「イリアは」

 思考が停止する。動作が止まる。

「イリアは、今本部にいる」

 ――その言葉に、少しだけ安堵した。
 動作に問題がなかったので、テントから出た。背後でレイラが何か言っていたが、ノイズだと判断されたのか全て遮断された。いや、本当はレイラが何を言っていたかなんて想像がつく。今の俺はそれを聞きたくないだけだ。子どもみたいに、耳を塞いで、聞こえないふりをしているだけだ。
 壊れそうな心は、機械になって壊れなくなった。それが良いことなのか分からない。人の心はどこにあるのか、という話を昔、イリアとしたことがあった。イリアは心は魂にあるのだと言っていた。俺は脳にあると言った。今の俺の心は、どこにあるのか。
 俺用に運ばれてきた装備をつける。兵士では使うことのできない、反動が大きすぎる銃や自分の周囲に毒ガスを散布するものなどがある。全て装備し終わると、前線に向かう。運搬用の車が停まっていたので、それに乗り込む。既に乗っていた連中が俺を見て、ひっ、と息を呑んだ。内心ため息を吐き、隅に腰を下ろす。少し遅れて、レイラがやって来た。いつも通りの軽装で重装備だ。俺に何か言いたげな目を向けていたが、唇をつぐんで、離れた場所に座った。
 全員乗り込んだことを上官が確認して、出発する。揺られながら、目を閉じる。人だった頃の習慣は人造人間になっても抜けないままだ。


 せいぜい俺達のために働いてくれよ、と誰かが口にした。下卑た笑みを浮かべ、侮蔑の目を向けられる。無知は幸福だな、と皮肉る。
 研究所に居た時、研究員の一人がぼやいていたのを聞いた。人造人間は瀕死の重傷を負った兵士が主な材料だと。傷を治すのが勿体ないと、機械の体に挿げ替える。こいつも死にかければ同じになる。人造人間の製造は安定していないらしく、その大半が死んでしまうとも言っていた。俺は八十七番目の被験体だが、実戦投入された人造人間は僅か八体だけだ。俺は運が良かったらしい。

「エフと合流する」

 運搬用の車から降りて、前線に向かう。足取りは重い。エフ――先に投入された人造人間と合流しなければ。そして、【異界人】を殲滅する。


 動きは脳内――電子回路に刻み込まれている。それぞれの兵器に的確な動きで攻撃し、避ける。人間だった時はできなかった動きが、今の体ならできる。傍らにはエフがいる。詳細は知らないが、俺と同じ人造人間。黙々と【異界人】を殺し続けている。銃で撃ち殺し、素手で首を折り、拳で内蔵を破裂させる。なるべく弾は温存しなければならない。壕に隠れていた【異界人】たちに向かって、毒ガスを投げる。【異界人】たちにどこまで効くか分からない、まだ開発途中のものだ。眼球に内蔵されているカメラを通して、全ての戦闘データは研究所に送られる。悲鳴が聞こえた。数人が壕から飛び出してくるので、すかさず撃ち殺す。エフが追撃に、壕へ爆弾を投げ入れた。爆音と共に、辺りに肉片が飛び散る。後方で他の部隊が展開し始めたらしく、銃の音が聞こえた。

「……まだ進軍するのか?」

 エフに視線を向ける。彼は無言で銃に弾を込めていた。そして、小さく「丘の頂上を占拠する」と言った。前を見ると、丘がまだまだ続いている。塹壕が掘られ、どこに敵が潜んでいるのか分からない。注意して進まなければならない。ため息を吐いて、銃に弾を込めた。
 背後にはレイラのいる部隊が進軍してきている。その更に後方には、イリアがいる。ふと頭にあの子のことがよぎった。彼女は今、どうしているのだろうか。【異界人】から逃げのびて、どこかでひっそりと暮らしているのだろうか。俺が負けてしまったら、彼女たちを危険に曝すことになる。
 ふ、と息を吐いて、次々と丘を越えて来る【異界人】たちに目を向ける。エフが笑っていた。泣きそうな顔をしている彼の気持ちが、分かる気がした。

「ああ、今日が風のない日で良かった」

 毒ガスを散布する。敵はひるんで進軍の足を止めた。そこへエフが銃で一掃する。前にいた連中が倒れていく。俺は毒ガスを突っ切って、一体ずつ、確実に排除していく。エフがそれを支援してくれる。黙々と、ただひたすらに。
 やがて、屍が山のようになった。いつの間にか【異界人】たちは撤退していて、周囲には誰もいない。丘の上に立つと、その向こう側がとてもよく見えた。エフが笑っている。そして、泣いていた。体がぎしぎしと軋む。己の手に目を向けると、返り血で元の色が分からなくなっていた。――元の、色。

「……帰ろう、サイケ」
「ああ……」

 残党の始末を終えたレイラの声で俺は帰投した。
 帰る途中、レイラからエフのことを聞いた。本名はエイリスと言って、元々は補給部隊に居たそうだ。地雷を踏み、両足と左手を失った。奇跡的に命は助かったが、人造人間の材料を探していた研究者たちの目に留まり、改造された。血が苦手で、戦場には向かないタイプだと他の者が話しているのをレイラが聞いたことがあると言う。実験も兼ねていたらしく、エフの体は脳髄を除く全てが機械になった。睡眠も食事も必要としない体に、心が拒絶反応を起こした。だが研究者たちは薬を投与し、半ば洗脳するような形でそれを克服させた。戦場に投入され、今まで数々の功績を残してきた人造人間だが、もう限界だろう。そう言うと、レイラは目を伏せ、か細い声で「私も、そう思う」と言った。

「心も機械にできたなら、どんなに楽だっただろう」

 レイラは何も言わない。中途半端に体だけ機械にして、心はどんどん擦り切れていく。そして、鈍色の音を立てて崩れていく。人造人間は成功した数が少ない。そのほとんどが改造途中で命を落とす。俺もそうなれたらどれだけ楽だっただろうか。過ぎてしまったことを思っても、どうしようもない。成功したとしても、いずれ精神が崩壊する。結局は兵士と同じで、人造人間も使い捨てでしかない。生身の兵士より少しだけ頑丈な捨て駒だ。
 エフの泣いている声が耳につく。膝を抱えて、笑っていた。何故だか、イリアに会いたくなった。