Tragedy

〜 壊れゆく世界へ 〜

訪れたモノ




 【ウツロ】の元へ戻ったアリスはさっそくサイケと交わした約束のことを皆に話した。意見は様々だった。軍人に恵んでもらう必要はない。そんなに優しい人なら貰ってもいい。世の中腐ったものじゃないな。と皆が次々と口にする。話し合いをした結果、三日分の食材を貰うことに決まった。アリスのいる【ウツロ】は大勢いるため、一月分の食料を持っていては腐らせてしまうのがオチだ。逃げる時も荷物になる。僅かな量を貰うだけでアリスたちにとっては十分だった。
 サイケとの交渉はアリス一人だけで行われることになった。軍人を毛嫌いする者が多く、皆が嫌だと言った結果、アリスがやることになった。アリスも他人にやってもらうことは考えていなかったので丁度良かった。
 再び訪れた廃棄施設。足は自然と動き出し、放棄された機械兵器の元へ向かう。だが、その足を止めなければならなかった。様子がおかしい。アリスはすぐさま物陰に隠れて、周囲を警戒した。サイケではない。もっと別の、複数人の気配がする。ひょっとしてサイケが裏切ったのか、とも考えたがそれはないと思った。確証はなかったが、サイケが裏切るわけない、とアリスは心の中で言い聞かせた。
 息を殺して、周囲を見渡す。怪しい音がする。何かを、修理する音。機械の音。誰かの話し声。軍人かと思ったが、どうもそうではないらしい。使われている言葉が人間の使う者ではなかった。そう、【異界人】たちの言語だ。アリスは慌ててその場から離れようとしたが、あの機械兵器が目に止まり、動けなくなった。
 ――機械兵器は修理されていた。正確に言えば、修理されている最中だった。【異界人】たちが皆でコンピューターに機械兵器を繋ぎ、何かを打ち込んでいる。また、機械兵器の駄目な部分を直しているのか、ドリルのような工具の音も聞こえた。
 一度放棄した機械兵器を修理して、また殺戮の道具にするのか。あんなにも、綺麗な綺麗な機械を。
 怒りに似た何かが、アリスの中から込みあがってきた。目の奥が熱い。頭が沸騰しているような感覚に襲われる。そんな時、背後からアリスの口を塞ぐ手があった。
 咄嗟のことに動けなかったアリスは、思わず声を上げそうになる。だが、声を上げてしまっては【異界人】たちに聞えてしまう。上げそうになった声を押し殺し、ふー、ふー、と息を荒げながら、アリスは口を塞ぐ手の持ち主を見た。

「すまない」

 とても小さな声で謝ったのは、サイケだった。その背後には軍の者がいて、アリスは瞬時にここが戦場になるのだと理解した。
 申し訳なさそうな顔をして、サイケはアリスを放した。呆然とするアリスに、サイケは用意した食料を指差した。アリスでも運べるほどの少量の食料が、袋に入って置かれていた。持っていけ、ということなのだろう。何も情報を教えていないのに。アリスはそう言おうと口を開いたが、すぐにサイケが人差し指をアリスの口に当てた。喋るな、黙って持っていけ。そう、サイケの目が言っていた。アリスはサイケに頭を下げると、すぐさま音を立てないように袋を持って、廃棄施設から脱出した。
 走って【ウツロ】の元へ戻り、アリスは廃棄施設が戦場になることを告げた。すぐさま皆で出発の準備を始め、夕方には出発することができた。外では、戦場の音が聞える。嫌でも耳に侵入してくる。入ってくるな、入ってくるな、と誰もが思った。皆、戦争は嫌いだ。当たり前のことだ。子どもが、泣きそうになっていた。アリスはそれを宥め、恐怖で動けない子を背負い、【ウツロ】は出発した。
 戦火は徐々に【ウツロ】に近づいてくる。皆、見つからないように進むが、それでも戦火が近づいているのはすぐに分かった。軍人が、【異界人】に押されている。きっと、あの放棄された機械兵器も戦闘に参加しているんだ、アリスはそう思うと胸の奥が痛くてたまらなかった。酷く美しいあの機械が、大勢の人を殺す兵器になるなんて、到底信じられなかった。だが、背後をチラリと見ると、アリスたちの後ろから迫る、巨大な機械が見えた。

「走れ!」

 そう、誰かが叫んだ。直後、後方の兵器からの銃撃を喰らった。
 弾丸の雨が、【ウツロ】を襲う。咄嗟に物陰に隠れたり、地面の隙間に潜り込んだ者たちは助かったが、雨に撃たれて死んだ者もいた。アリスも物陰に隠れたため、難を逃れたが、近づいてくる兵器に、おんぶしている子どもが嗚咽を洩らし始めた。

「逃げろ!」

 誰かが叫ぶ。その声を合図に、【ウツロ】は散り散りになって逃げ出した。もしもの時のために、こうやって【ウツロ】は別れて行動する。そうして、また別の【ウツロ】と合流し、生活を始める。それが【ウツロ】にとって日常だ。
 走り出したアリス。背負う子どもはお母さん、と泣き叫ぶ。彼女のお母さんは、どこに行ったっけ。そんなことを考えていても、どうせそれはくだらないことになる。降りたいと暴れる子どもを落とさないようにアリスは走る。他の仲間のことなど、気にしていられない。気にかけられるのは、背にいる小さな命だけだった。走る、走る。風を切って、足が動かなくなるまで、アリスは走った。


 ――そうして辿り着いたのは、一つの丘だった。
 夜空の星が照らす丘に、一人の青年が居た。丘に独りきりで座り、空を見上げていた。
 アリスが息を乱す音に気付いた青年が、振り返る。虚ろな目をした青年の瞳に、アリスが映る。

「【ウツロ】?」

 酷く冷たい声で、青年は言った。

「そうだけど」

 アリスも強気な声を上げた。そうしなければ、自分が自分でなくなってしまいそうなほど、アリスは弱っていた。精神的にも、肉体的にも。

「ここには何もないよ。食料も、他の【ウツロ】も」

 そう言うと、青年はまた空を見上げた。

「あんたは、ここに居ても平気なの?」

 他人を心配している余裕などなかった。だが、青年はちょっと目を離した隙に消えてしまうのではないかと思えるほど、虚ろになっていた。

「君に心配される筋合いはないよ」

 そう、アリスのほうも見ずに青年は言った。アリスは黙った。青年の声には、少しばかりの怒気が含まれていた。

「……【異界人】が迫ってるから、早く逃げたほうがいいわよ」
「そう、分かった。でも、僕はここを離れられないから、君たち二人で逃げな」

 青年は、アリスを見なかった。虚ろな青年に、アリスはこれ以上かける言葉はないと判断し、泣き疲れて眠る子を背に、丘を立ち去った。逃げる場所に、アテなどない。

 逃げ続けたアリスは、小高い場所に立った建物の中に入った。既に、サイケから貰った食料は底を尽きていた。毎日のように泣きじゃくる子ども。他の【ウツロ】と合流することさえできないままで、アリスは焦るばかりだ。苛立ちもあり、何度子どもを置き去りにしたかったか。それを押し留めたのは、アリスの中にある良心がやったこと。アリス自身は、足手まといになる子どもを早く手放したかった。
 そもそも、勝手に子どもを作った親が悪い、とアリスは考える。【ウツロ】のような環境で、子どもを作るなど普通では考えられない話だ。逃げることを最優先にする【ウツロ】において、子どもと妊婦、そして老人は邪魔者でしかない。まだ自分で生きようとする子どもはいい。だが、他人に縋ってばかりの子どもは一人では生きられない。邪魔者だ。そういう子は邪魔者だ。【ウツロ】の中には、妊婦になると【ウツロ】から離れ、単独で行動をする女性だって居る。老人は、住む場所を見つけ、殺されるまでそこに住む。それが【ウツロ】にとって当たり前のことだ。邪魔になることはしない。邪魔者は自ら立ち去るべし。それが、【ウツロ】にとって重要な決まり事。
 うずくまる子どもをチラリと見る。毎日毎日泣いて、【ウツロ】からすれば邪魔物でしかない。一人で食料を探そうともせず、アリスだけで食料を探し、寝泊りできそうな場所も探す。疲労が見えるアリスの顔は、荒んでいた。

「……もう、駄目。休憩」

 そう呟いたアリスは、一人建物の外に出た。
 空は暗い。もう、夜だ。あの青年と会った丘のように夜空を見上げても星は見えない。何も見えない、真っ暗な夜。どうしようもない孤独に、泣いてしまいそうになった。
 いっそこのまま、死んでしまえたら楽なのに。
 そう思った。機械音がアリスの耳に入った。【異界人】たちの戦争兵器だろう、と考えたが、アリスはその場を動こうとしなかった。
 このまま、あたしを殺してくれる?
 そう、近づく機械兵器に向けて言葉を投げかけていた。

 月と星を覆い隠していた雲の隙間から、月が顔を出した。照らし出される兵器の姿に、アリスは息を呑んだ。
 ――その兵器は、アリスが綺麗だと思った、あの放棄された機械兵器だった。
 嗚呼、あたしを殺してくれるのが、あんたで良かった。あんたみたいな綺麗な奴に殺されるのなら、別にいいや。
 生きることに疲れていた。死にたくなった。自分で死ぬ勇気などなく、誰かに殺されるのを待っていた。アリスは静かに目を閉じた。目の前にいる機械兵器は、あたしを殺してくれる。そう思うと、心が躍った。機械兵器の目が光る。青い光が点滅する。それは赤や黄に忙しなく変わり、紫色で落ち着いた。
 機械兵器は手を伸ばす。犬のような体を持つ機械兵器は、右前足でアリスの体を掴んだ。

 ビービービービー。

 ビーコン音に似た音が、機械人形から発せられた。アリスは、ようやく解放される、と思っていたが、いつまでもやって来ない終わりに、恐る恐る目を開けた。

「……あんた、何考えてるの?」

 機械兵器は、アリスが目を開けた途端、アリスに擦り寄ってきた。細長い顔の、犬で言う鼻の部分をアリスに胴に擦りつけ、夥しい数の刃物がついた尻尾を揺らす。その姿は、まるで犬。

 ビービービービービビー。

 また発せられた音。よく見ると、機械兵器の目に、何か文字が映し出されていた。それはアリスたちの使う言語で、『オンワ』と書かれていた。

「オンワ?」

 ビビー。

「……あんた、オンワって言うの?」

 ビービービビー。

 返事をするかの如く音がした。
 アリスは呆気に取られた顔でオンワ、と名乗った機械兵器を見た。目が紫から橙に変わる。

「なんで、あたしに懐くのよ……」

 ビービビビビー。

 返事をしているが、その意味は分からないアリス。ため息をつくと、オンワに下ろすように言う。オンワはすぐにアリスを下ろすと、犬がお座りをするような体勢で、アリスに顔を伸ばした。
 アリスは、オンワの顔に触れた。冷たい。心地よい冷たさに、アリスは思わず抱きついた。オンワの尻尾が、とても嬉しそうにブンブンと揺れる。それに構わず、アリスはオンワの顔を思いっきり抱き締めた。機械なので、本物のような温もりも柔らかさもない。だが、それでもアリスは幸せを感じていた。

「オンワ、あたしと来る?」

 そう問うと、オンワは目を激しく点滅させる。

 ビビビビビ。

 肯定しているらしく、尻尾は相変わらず揺れていた。それを見たアリスは、笑った。

「よろしくね、おっきなワンコ」

 ビービービビー、ビビビ。

 それは、悲劇の始まり。



   ◆



 願いはただ、綺麗だと言ってくれたあの人を守ること。