Tragedy
〜 壊れゆく世界へ 〜
壊れたモノ
アリスは、【ウツロ】の一員である。両親と共に、十年前に地下から地上に出た。父はそれなりに位を持った軍人だったそうだが、小さなミスがきっかけで左遷され、退職させられた。軍人でない者が地下にいる資格などないと、家族で地上へ追い出された。元々体が強くなかった母は、風邪から肺炎をこじらせ、薬も手に入らないまま死んでしまった。アリスが十歳の時だった。父親はアリスを【異界人】から守るべく、拾った旧式の武器を持って単身【異界人】に戦いを挑み、殺された。アリスが十三歳の時のことだ。
それ以降、アリスは【ウツロ】の輪に加えてもらい、今まで生きてきた。【ウツロ】は生きるのに必死だ。毎日、食料と水を確保するところから【ウツロ】の一日は始まる。数人が食料、水の確保。数人が見張り、数人が次に行く場所の調査など、チームに分かれて行動する。アリスは調査するチームの一員だ。
朝早くから次に行く場所の調査を行う。現在いるのは旧トーキョーで、昔はかなり発展した都市だったそうだ。今となっては見る影もない。建物はほとんど原型が残っておらず、破壊の限りが尽くされていた。地下には、地下道なるものが存在しているが軍が管理しているため、【ウツロ】のアリスたちでは立ち入ることさえできない。アリスたちは、次の住処を探す。原型を残していない建物が多いが、雨風がしのげれば、【ウツロ】にとって住処など何処でもよかった。仲間の一人が大きく、横長の建物を見つけたらしく、アリスもそちらの手伝いに向かった。建物は損傷も少なく、屋根もある。中は汚かったが、贅沢は言っていられなかった。アリスたちは、この場所を住処にすることに決めた。
一旦、他のチームの元へ合流したアリスたち。食料、水確保チームから配給を受け、調査結果を皆に報告する。それから、見張りと相談して行動を開始する。敵が近くにいれば、移動はせず、息を潜める。敵が居なければ、移動を開始する。それが【ウツロ】の決まりだ。一点に留まることをせず、常に新しい住処を求めて流れている、それが【ウツロ】だ。
昼頃移動を開始し、夕方には新しい住処に到着した。各自持っている毛布に包まり、その日は食事を食べて眠った。次の日にも、アリスは調査に駆り出される。次は、周囲に使えるものがないかの調査だ。
【ウツロ】にとって、食事と水、そして住処は大切だが、もっと大切なものがある。それは、物資だ。物資の豊富な地下とは確実に分断されているため、地上にいるアリスたちが地下の物資を手に入れられることなど、まず滅多にない。そのため、【異界人】のゴミ捨て場や地下の人間たちのゴミ捨て場は、アリスたちにとって生活に欠かせない場所になっていた。アリスはそれを探すため、調査チームと共に早朝から動き出した。
付近の捜索をしていると、アリスは巨大なゴミの廃棄施設を見つけた。軍のものか、【異界人】のものかは分からなかったが、少し離れた場所から、廃棄施設を調査することにした。拾った望遠鏡で、施設周辺に人がいないか確認する。人はいないようだ。息を潜め、誰かが来ないか注意深く観察する。
しばらく調査を行っていたが、誰も来なかったため、アリスは一旦他メンバーと合流すべく、動き出した。
他のメンバーと合流したアリスは、廃棄施設のことを言った。他のメンバーはアリスと違い、目ぼしいものが一切見つからなかったため、調査チームの仕事は廃棄施設の所有者がどちらか調査し、使えるものは奪っていこうということとなった。
そのことは、住処に帰ってから他のメンバーにも告げた。食料、水を確保するチームは、数日分の食料と水が見つかったため、数人を調査チームに加えてくれた。これで、アリスの仕事も少しだけ楽になった。
それから数日、アリスたち調査チームは廃棄施設の調査を続け、あの場所が【異界人】のものであり、既に放棄された場所であると突き止めた。数日かかったが、廃棄施設からたっぷりと物資をいただき、【ウツロ】たちも満足していた。
見張りからも数日はまだこの住処に滞在しても大丈夫だという報告もあり、アリスたちはしばしの平穏を楽しんでいた。
だが、アリスは一人廃棄施設に来ていた。
理由などない。ただ、惹かれるものがあったからだ。
「……居た」
廃棄施設の中央に位置するゴミの廃棄場。そこに佇む巨大な機械兵器。【異界人】の兵器だが、所々壊れており、動く事はない。アリスたちが調査をしたところ、既にシステムが死滅しているため、もう二度と動く事はない。
「綺麗」
アリスは目を細めた。機械兵器は、これで人を大勢殺したのかと疑いたくなるほど美しかった。装飾など一切ないが、芸術的な美しさ、フォルムによって際立たせられる美、無機質ゆえの美麗さなど、ありとあらゆる美しさを兼ね備えた存在のように思えた。アリスは、機械兵器のいる空間が好きだった。金属に似た外装から放たれる空気は冷たく、【ウツロ】での生活で疲れ切っていたアリスを癒してくれるかのようだった。アリスは、機械兵器の側に座り込んだ。機械兵器は壊れているのだ、絶対に動くことはない。数年前から放棄されているらしく、今更【異界人】たちが取りに戻ってくることもないだろうと、アリスは思った。
だが、施設内に不可思議な音が響いた。足音だ。【ウツロ】の誰かかと思ったが、足音を聞いているとそうではなかった。アリスは慌てて立ち上がり、近くにあったゴミ山に体を突っ込み、僅かな隙間から周囲を観察することにした。息を殺す。はぁ、はぁ、と五月蝿い息を整えようとするが、そんなアリスの意思とは裏腹に心臓の鼓動はどんどん大きくなっていった。このまま見つかったら、とアリスは考えたが、そんなことを考えては駄目だ、と深呼吸した。
冷静になった頭で、周囲を見渡す。足音はこちらに近づいてくるようだった。【ウツロ】は皆、同じ靴を履いており、歩き方によって足音は変わるがその根幹を為す音というのは変わらない。ゆえに、アリスたち【ウツロ】は仲間の足音を覚え、それで仲間か否かを判断するようにしていた。だが、今の足音は違う。もっと底の厚い靴を履いている。金属のような音もする。おそらく、靴底に金属を仕込んでいるのだろう。軍人か、それとも【異界人】か。どちらにせよ、外にいる【ウツロ】のことが気になった。
やって来たのは、一人だけだった。どうやら、軍人らしい。【異界人】ではないことにほっとしたアリスだったが、軍人は一目散にアリスのほうへと向かってきて、アリスはぎょっとした。
軍人はアリスの目の前で止まり、何かを探し始めた。何か、が何かは分からなかったが、アリスは不味いと、唇を噛んだ。
「【ウツロ】が、一人居るな」
軍人が小さな声で呟いた。その言葉はアリスの耳にも届き、アリスは絶句した。何故、分かるのだろうか。
「出て来い。ちょっと情報が欲しいんだが」
そんな甘い言葉を言われて出て行けるわけもない。【ウツロ】は皆、軍人や貴族たちを嫌っている。家族との平穏な暮らしをしたかったのに、地下から追い出された者やアリスと同じように些細なミスから地上で暮らすことを強いられることとなった者が【ウツロ】には多い。そのため、地下で暮らしている者たちへの嫉妬心が大きい。それには、憎悪も含まれているが。
アリスもその一人であり、軍人の言葉を簡単に信じられるわけがなかった。
「あー、駄目か」
軍人は頭を掻いた。アリスは、息を潜めていた。
「……仕方ないか」
そう言って、軍人は持っていた銃をゴミ山に向けた。その威力がどれほどのものかは分からなかったが、アリスは死を覚悟した。それと同時に、死にたくないと思った。惨めに軍人の前に姿を現して命乞いをするか、それともゴミ山と共に死んでしまうか。アリスは困惑した。死にたくなどなかった。だが、軍人に命乞いもしたくはなかった。
そうこうしているうちに、軍人は安全装置を外した。このままでは不味い、とアリスは思い切って軍人の前に出る選択をした。
「軍人が何の用だ」
強い口調でアリスは言う。軍人は銃を持ったまま呆気に取られていた。まさか、出てくるとは思っていなかったらしい。
「あ、あぁ……実は、この廃棄施設について教えて欲しいんだ。謝礼も出そう、保存食一か月分、何人分必要だ?」
今度はアリスが呆気に取られた。普段は高圧的な軍人からは想像もつかないほど、優しい軍人だった。ぽかんとしているアリスを見て、軍人は笑った。
「俺は他の奴らとは違うだろうが、そんなに珍しいか?」
茶目っ気を見せ、男は笑う。
「あんたみたいな軍人、絶滅危惧種ね」
「懐かしいな、その言葉も」
かつて絶滅危惧種と呼ばれていた生物たちは既に死に絶えている。【異界人】と人類の戦争によって引き起こされた急激な環境変化に耐えられなかったのだ。それ以外にも、食料に困った人類が喰ってしまった、ということもある。現在のこの世に生物が存在しているとするならば、それは一体どれくらいの数になるのだろうか。既に、人類は現存する生物の数を把握していない。
「それで、【ウツロ】は何人だ?」
「あたし一人じゃ決められないよ。人数の問題よりも、何日分もらうかの問題のほうが大きいから」
「そうか、なら明日の昼頃、ここで待っている」
「そうして」
変わった軍人だった。頭を覆うマスクと口元を隠す布のせいで顔はほとんど見えないが、その目は酷く優しいものだった。こんな人でさえ軍人になっているのかと、アリスは思った。
「では、明日に」
「待って。あんたの名前は?」
軍人は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに優しそうな顔に戻り、目を細めて言った。
「サイケ、サイケだ。お前は?」
「あたしはアリス」
「似合わない名だな」
笑う軍人。アリスはむっとした。だが、すぐに元に戻った。
軍人は施設から立ち去り、アリスは壊れた兵器を見上げた。壊れたままで、放棄された兵器。アリスはそれにそっと触れ、目を閉じた。今にも動き出しそうな感じがしてならなかった。