02. grazioso




 私はディーヴァ。異形の歌姫。目を閉じれば、昨日のことのように思い出せる。カデヨ様と出会った日のことを。あれから幾月経ったのでしょう。あの日の出来事が、私には昨日のことのように感じます。愛しい貴方。私を救ってくださった、とても大切な人。

 満月の夜、貴方は私の膝に頭を預け、眠っています。私も少し眠りたいと思っているのですが、自然と目は冴えてしまいました。
 いつものように野宿です。膝枕をすることは苦痛ではありません。旅人も避けて通るという森の奥深く、開けた場所で私たちは休んでいます。賊も人を襲う獣も出ないそうなので、貴方は安心して寝ています。 私は一人、月を見上げ、冴えてしまった目をどうしようかと考えます。ですが、いい答えは見つかりません。 たき火が消えないよう、薪を入れます。そして、目を閉じ、貴方と出会った日のことを思い出します。私にとってとても大切な、運命を変えた日のことを。



   ◆



 人であるはずなのに、人として扱われない見世物小屋。そこで私は、見世物にされていました。私の母は普通の人間でしたが、母は愚かにも魔物との間に子を作り、その結果私が生まれました。父親が魔物だったからか、私の足は人のものではありませんでした。物心ついた時から、父は居ませんでした。母は生まれたばかりの私を連れて、小さな村へ行きました。そして、そこで暮らすようになりました。私は病弱ということにして外に出ることもなく、暮らしていました。けれど、平穏な暮らしも突然終わりを告げました。どこからか私のことを知った者たちが、母を殺しました。母は斧で頭を真っ二つにされ、絶命したのです。母は目の前で動かぬ人となり、私は足を見られ、人買いに渡されました。村の人たちが遠巻きから私を見ているのに気付きました。怯えたような表情をしていたのですが、彼らの手には、お金の入った袋が握られていました。――私は、私と母は、村人たちに売られたのです。
 その後、私は人買いの手により着飾られ、見世物小屋に売られたのです。

「■■……貴方は、シアワセになりなさい……」

 母が死の間際に言った言葉が、耳から離れませんでした。私は私なりに、幸せを掴もうとしましたが、現実は到底、かけ離れたものでした。
 見世物にされる日々。檻に入れられ、人ではなく物としてぞんざいに扱われました。他の、珍しい獣たちと同じ扱いでした。いいえ、獣のほうがまだマシかもしれません。
 私の足は、異形の足。私自身は大した力もない小娘で、見世物にはうってつけだったのでしょう。
 見世物小屋の主は、母が魔物とも間に子を成した愚かな女だと謳い、私を人々に見せつけました。母が愚かなのか、私にはわかりません。
 わざわざ見世物小屋に来て私を見る人たちは、一体何が楽しいのでしょう。何が面白いのでしょう。私には理解できません。
 ――ただ、私はそんな生活が嫌で堪りませんでした。すぐにでも逃げ出してしまいたかったのですが、私の足は鎖で繋がれ、自由を奪われていました。シアワセになりなさい。母の言葉を思い出します。私は、シアワセではありませんでした。
 ある日、檻の中に居た私は寒さに震える獣たちに何かしてやりたいと思い、母から教わった子守唄を歌ってあげました。それで寒さが和らぐとは思っていません。ですが、何かしてあげたかったのです。その歌を、見世物小屋の主人が聞いたのです。
主人は私の歌は金になると思ったのでしょう。私に人前で歌うように言いました。私は言われるがまま、歌いました。
 客たちは私の歌を、大層珍しがりました。私は、母から教わった歌を歌う時もありましたが、適当に作ったものを歌うこともありました。それが、『魔物の歌』と称されて売り出されていました。それは私にとって苦痛でした。まだ母と暮らしていた頃、母は私の歌を聞くととても嬉しそうにしていました。私はこんなことのために歌うのではないと、心の中では思ってました。けれど、私には運命に抗うだけの力がなかったのです。
 私の歌は主人からすれば商売道具の一つでした。私という存在は、一体どこにあるのでしょうか。何度もそう思い、悩みました。
 母はよく、私に言っていました。貴方なら、ディーヴァにだってなれると。当時はディーヴァという言葉の意味が分かりませんでした。主人にその話をすると、主人は『歌姫』という意味だと教えてくれました。それから、私は『異形の歌姫』と呼ばれるようになりました。それは私につけられた、新しい名前でした。
 私は異形です。そして、歌姫です。ですが、私は、私の心は、きちんとした人間のものです。
 ですが、誰一人として、私を人間扱いしてくれません。私は所詮、異形の魔物。人になり損ねた化け物なのです。

 私が見世物小屋に売られてから、何年が経ったでしょう。
 私を買いたいという変わった趣味の人が現れるようになりました。彼らは私の買い値にかなりの値段を提示しましたが、主人は首を縦に振ることはありませんでした。
 見世物小屋が人々から飽きられ始めていることは、私も気付いていました。私だけが人々の目を惹く存在で、他の獣たちも老いてしまっていました。
 ですが、いつか私も飽きられてしまいます。主人は私をなるべく高く売りたかったのでしょう。中々主人の希望する金額を提示する人はいませんでした。――私は、自分が売られないことに安心しきっていました。それは打ち砕かれました。私の前に現れた、一人の男。私を買いたいと言って、主人と話をしていました。その人は、初めて見る人でした。何度言われても諦めない人だっていたのに、その人を見るのはその日が初めてでした。
 その人は若い男を付き人として引き連れていました。その男の名前は知りませんが、私は興味を持ちました。主人は下品な笑みを浮かべて、男を見る私を見ていました。別に、男に好意を抱いた訳ではありません。何か、運命のようなものを感じたのです。
 ――例えるなら、いずれ殺し合いをする運命のようなものです。決して、恋や愛の運命などではありません。殺し合う運命にある、そう確信しました。
 私を買いに来たその人は、かなりの値段を提示しました。それは、主人が見世物小屋をやめても一生暮らせるほどの金額でした。主人は金に目が眩み、私をその人に売ることに決めました。

 その日の晩のことです。私が、初めて貴方と出会ったのは。
 主人は私が男に恋をしたと勘違いしたのでしょう。下劣な笑みを浮かべながら、私に色事のことを教えてやる、と言いました。私は拒絶しました。すると、買い手が先払いで払った金で酒を買い、飲んでいた主人は酔っぱらっていました。主人は反抗的な態度を取った私を殴りました。何度も、何度も。殴られながら私は、このまま死んでしまえたらどれだけ幸せだろうと考えていました。
 そんな時です。貴方が訪ねてきたのは。
 「何の用だ」と主人が言いました。貴方は答えません。
 「コレはやらんぞ」と主人が逃げようとした私の髪を掴み、言いました。貴方は私の顔を見て、次に足を見ました。そして、口元を歪めました。
 「あの男を知っているな」と貴方は言いました。私はすぐに、あの若い男のことだと理解しました。そして、貴方は私を大切にして下さる方だということもわかりました。
 私を買いに来た人たちは、私に飽きれば簡単に捨ててしまうでしょう。でも、貴方は違う。貴方なら、私を愛してくれる。そう感じました。
 「はい、知っています」と私の口から、自然と言葉が紡がれていました。
 貴方は私の言葉に笑みを深くしました。背筋が凍るほどの不気味な笑みに主人は固まってしまいました。懐からナイフを取り出した貴方は、とても容易く、主人を殺しました。躊躇うことなどありませんでした。
 ナイフは主人の首に深く突き刺さりました。ですが、不思議と血はあまり飛び出ませんでした。主人は私を解放すると、倒れて動かなくなりました。絶命しているらしく、瞳が見開かれたままでした。
 貴方は主人の首からナイフを引き抜くと、私の腕を掴みました。栓が抜かれたせいか、主人の体からは面白いくらい血が溢れだします。首の切り傷はかなり深く、骨のような、白いものが見えました。――一瞬で絶命できた主人は、まだ幸せでしょう。脳裏に、殺された母の姿が浮かびました。母は何度も斧で頭を叩き割られ、苦しんで死んでいったのです。そんな母を見ていた私からすれば、主人の死に方は、なんて幸福なのだと思えてしまいます。
 「来い」と貴方は一言だけ私に言いました。
 「はい」と私は一言だけ答えました。
 それが、貴方と私が出会った日のことです。



   ◆



「……ディーヴァ」

 眠っていたはずの貴方が目を覚ましました。何かしてしまったのか一瞬不安に思ってしまいました。

「どうかしましたか?カデヨ様」

 貴方は何も答えず、起き上がりもせず、ただ私の顔と空を見ているようでした。しばらく見ていた貴方は、思い出したかのように口を開きました。

「眠れないんだ」

 悲しげに目を細め、貴方は言いました。そして、貴方は続けます。

「あの子守唄を、唄ってくれ」
「はい、カデヨ様」

 そして、私はまた歌います。貴方のために、大切な子守唄を。
 カデヨ様が復讐の果てに自らの命を絶ったとしても、私は必ず側にいます。本当は貴方に死んで欲しくありません。生きて、私に歌を歌ってくれ、と頼んで欲しいのです。
 ですが、私に意見する権利はありません。
 私は、カデヨ様のもの。貴方の所有物。

 ですから、私は貴方の復讐に手を貸します。
 それが、貴方に救っていただいた恩返しになるのだから。
 カデヨ様、私は貴方と共にありたいのです。