――愛しています。愛しています。
「ディーヴァ、歌ってくれないか?」
丸い月の光が降り注ぐ夜。私と貴方は旅の途中で、野宿をすることになりました。いつものことです。私たちは、宿に泊まることはほとんどありません。お金の節約、ということもあるのですが、それは貴方の優しさゆえのことなのです。その日は、少しだけ違っていました。貴方は私に、珍しく歌をせがんできたのです。
歌うことしかできない私にとって、それは至上の喜びです。貴方のために歌えるのなら、私は全てを捨ててでも、貴方のために歌いましょう。
「はい。では何がいいですか?」
貴方は困った顔をして、顎に手を当て、考え出します。
貴方のためならば、どんな歌でも歌いましょう。悲鳴という歌も、愉悦という歌も、全てを歌ってみせましょう。全ては、貴方のため。
「――子守唄を」
そう口にすると、貴方は私の膝に頭を乗せ、寝転がりました。こんなことをするなんて、珍しいことです。私は嬉しくなって、貴方の髪に触れます。うさぎの毛のようにふわふわとした貴方の髪は、いくら触っても飽きることがありません。
口を開き、貴方のために歌います。
――おやすみ ゆっくりと
ずっと昔、母が歌っていた子守唄。海馬に染みついて離れない歌を歌う。貴方は子どもの頃、どんな子守唄を聞いていたのでしょう。
私は子守唄を歌いながら、貴方の髪を撫でます。貴方は目を閉じて、そのまま眠ってしまいました。緩やかな寝息が聞こえてきます。露わになっている左目。髪に隠された右目。見ていて、胸が苦しくなった。貴方の顔の右半分は醜い火傷の痕で覆われています。私はそっと、貴方を起こさないよう、火傷の痕に触れます。
やがて、子守唄を歌い終わり、私は月を見上げます。辺りは静かで、私も目を閉じました。
「愛しています」
周囲の気配を探りましたが、獣は居ないようです。野盗の気配もないので、私もしばし眠ることにします。
貴方への思いを胸に。
◆
復讐は成し遂げなければならない。復讐しなければならない。そのためには、あの男を探さなければ。それが俺の存在する理由だ。
『彼女』を奪い、この顔に火傷を負わせたあの男を、殺さなければならない。
「ディーヴァ」
「はい、カデヨ様」
傍らに控える女が、儚げな笑みを浮かべた。相変わらず、お前は酷く美しい。簡易なものだったが、俺が与えたドレスもお前が着ればその美しさを惹き立てる道具に過ぎない。
長い白銀の髪は頭の高い位置で二つに括られている。薔薇のような真紅の瞳は髪と同じ色の睫毛で縁どられ、神秘的だ。頬は少女のように薄桃色。お前は、酷く美しい。
「今日は街を通る。ローブを着ろ」
「はい、カデヨ様」
隠さなければならないのは、残念だ。だが、仕方のないことだ。お前の美しさもそうだが、お前の、その足を。隠さねばならない。
――異形の歌姫。お前を、他人の好奇な目に曝すわけにはいかない。
お前の足は獣の足。ドレスは足が隠れるよう、裾の長いものを着せているがそれだけでは心もとない。その上から、更にローブを着せる。
だが、ローブを着せても、馬に似た足には蹄がある。歩く度、蹄が鳴る。鳴らないよう歩くこともできるが、もしもの時のために、蹄の音が隠れるよう、ローブの留め具に鈴をつけた。気休め程度だが、守るために考え付いたのはこのくらいだった。
「ディーヴァ」
「言われなくても分かっています。足音には気をつけます」
そう言って、お前は大人しくローブを着て、それを自分で整えた。大きめのフードを被れば、髪と顔の半分が隠れる。お前の、完全ではない姿を隠さなければならない。決して、他人の目に触れさせてはならない。
「ディーヴァ」
「はい、カデヨ様」
名を呼べば、お前はすぐに返事をする。
「お前は、俺のものだ」
「分かっています、カデヨ様。見世物にされていた私を救っていただいたあの時から、私は貴方のものです」
ディーヴァ。俺の、歌姫。
「行くぞ、あの男を探さなければ」
「はい、カデヨ様」
そうして、俺たちは歩き出す。街を通らなければ、次の村へ行けない。あの男を探さなければならない。そして、殺さなければ。
火傷の痕が酷く痛んだ。それがまるで、俺にあの男を殺せと訴えているようだった。殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ。
ディーヴァはただ、俺に付き従ってくれているだけだ。そんな彼女を、俺の復讐に巻き込んですまないと思っている。だが、復讐を止めることなどできない。
決して、口には出さない。口の中で言う。出してはいけない言葉だ。出せば、全てが崩れてしまうだろう。愛を囁くことなど、俺には許されない。『彼女』のことも守れなかった俺が、愛を囁くなど罪でしかない。
「ディーヴァ、何かあればすぐに言え」
「はい、カデヨ様」
街に入ると、そこは活気に満ち溢れていた。様々な露店が立ち並び、人々がそこで買い物をしていた。商人が多いと前に通った村で聞いていたが、ここまで多いとは思わなかった。行き交う人々は笑い、楽しそうに会話を繰り広げる。それがどこか憎らしく思えた。
ふと、ディーヴァを見ると、彼女は目を輝かせていた。今まで色々な街や村を通ってきたが、どれもディーヴァにとっては新鮮なものだから、仕方ないだろう。だが、ゆっくり観光をさせてやることもできない。
ディーヴァ、お前が幸せに暮らせる場所があればいいのに。その異形の足を、誰からも咎められることなく暮らせる場所が。
大通りにある商店や露店で、買い物をする。旅の最中に通るだけの街だが、食糧など必要不可欠なものは買っておかなければならない。備えあれば憂いなし。よく言ったものだ。用意はきちんと整えておかなければ。
買い物をする俺の傍らには、俺のディーヴァが居る。時折、髪飾りや首飾りなどの装飾品に興味を示すディーヴァだが、手に取ろうと伸ばした手を引っ込める。欲しいのなら、欲しいと言えばいい。俺はそう思っている。だが、ディーヴァは決して甘えない。迷惑か、旅には必要ないと考えているのだろう。そんなことはないのに。
余所余所しい態度を見せるディーヴァ。桃色の髪飾りを、欲しそうな目でじっと見つめていた。俺のほうから欲しいのか、なんて言うことはできない。俺のような咎人が、そんなことを言う権利はない。
目を伏せ、歩みを進める。止まることなど、できない。
「……行くぞ、ディーヴァ」
「――はい、カデヨ様」
ディーヴァは返事をする。その返事はどこか悲しげだった。
すまない、と心の中でつぶやく。俺とディーヴァは旅を続ける。――あの男を、殺すために。