Short Story

嫁さん、悪いけどもう勘弁してくれないかな?




「なぁ、ワシもう離婚したい……」

 悲しげに、海神が言う。海神は本気で離婚を考えているようだ。賛成はできない。だが、正直、離婚して欲しいと思っている。
 私は海神に仕えるしがない者だ。海神はつい三月ほど前に結婚したのだが、后となった相手は悲惨だった。まず、容姿。式を見た者たち皆が口をそろえて「あれなら魚と結婚したほうがマシ」というほどだ。醜いを通り越して、あれは生物なのかと疑いたくなる。
 次に性格。私や他の者は皆、海神に仕えている。海神以外に偉い神が居ようと、私たちがその神の言うことを聞く必要はない。私たちの主人ではないからだ。だが、后は容赦なく私たちにどうでもいいことを命ずる。聞かなかったらヒステリックを起こし、喚き散らす。その声の五月蝿いこと。遙か三千里先まで届くほどだ。これでは陸に暮らす人の子たちが海神の怒りだと勘違いするかもしれない。後で地上へ使いを送らなければ。
 あの后が来てから、仕事がはかどらない、うつになって休暇をとる者が多発するようになった。そして、海神自身、限界になっていた。

「ワシ、もう離婚してもいいよね?まったく、なんであんなのを嫁に貰ってしまったんだか……」
「ですが海神、かの石長姫と天孫のこともありますし」

 うかつに離婚を許すわけにはいかないのだ。私たちとしては離婚には賛成だ。大いに賛成だ。だが、天孫と石長姫のことがあるので、海神に不幸になって欲しくないのが、仕える私たち一同の願いだ。

「ワシ、もう限界」

 海神は今にも泣きそうだった。

「アンター、アンター」

 后の声がして、私たちや海神はピクリと肩を震わせる。来るな、来るんじゃない。声高らかに拒絶したい。海神は顔を真っ青にしている。私たちはあらかじめ奴に対する対策を考えている。目配せをして、素早く準備に移る。
 后、悪いが貴様の悪行もここまでだ。私たちは海神のためなら、貴様をここから追い出してやる。追い出すのは離婚じゃないから大丈夫だし。たぶん。

「后様、申し訳ありませんが現在海神は会議中で御座ります」
「アタシが呼んでるのに仕事のほうが大事なの? 本当に使えない人ね」

 お前よりはいい人だし仕えるに値する人だよ。

「重要な会議ですので、申し訳ありません」
「邪魔よ。アタシはあの人に用があるの」
「なりません。今は大事なお客様がいるのです。入っては無礼に当たります」
「五月蝿いわね。あの人に言ってクビにさせるわよ?」
「――いつから海神の細君はそんなに偉くなったのだ?」

 海神の部屋から出てきた人物、否、神を見て后は驚いた顔をする。そして、顔があっという間に青くなっていった。

「もう一度聞く、いつからそんなに偉くなったのだ?」

 神の背後で海神がほっとした顔をしていた。神は后の首根っこを掴むと、そのまま持ち上げた。神と后の身長差は二倍。神が后を持ち上げると、凄く軽そうに見えた。

「お、おとうさま……」

 この神、実は后の父である。后が唯一頭の上がらない相手。そして、妻は夫の務めを補佐するものであり、決して邪魔をしてはならない、夫を立てるのが妻の役目である。その精神の持ち主である。后め、まんまと策に嵌ったな。神と后の見ていないところで、私の同僚たちが手を叩いたり、拳を掲げて成功を喜び合っていた。

「海神、我が馬鹿娘が無礼なことを……」
「いえいえ」
「ちょっとアンタ、何か言ってよ」

 ヒステリックに后が叫ぶ。いや、弁解しても意味がないと思うのだが。

「嫁さん」
「何よ」
「悪いけどもう勘弁してくれない?部下を虐めたり、お金浪費したり、迷惑だよ」

 后の父が、顔を真っ赤にさせ、怒り狂った目で后を見た。后は顔を青くしたまま目をそらす。后の父の顔は、般若のように変化していっていた。恐ろしい。触らぬ神にたたりなしとはまさにこのことか。

「再教育致します。それでも駄目ならば、離婚ですな」
「そんな、せっかくいい金づるが……」

 ギロリ、と効果音がつきそうなほどの眼光を后に向ける。后は途端に言葉をつまらせ、おとなしくなった。


 その後、后は実家へと帰され、私たちと海神は喜びを噛み締めながら小さな酒盛りをした。嵐は、過ぎ去った。