Tragedy

〜 壊れゆく世界へ 〜

地下シェルター




 地下シェルター。力を持たない人類が【異界人】から逃れるために建造した巨大施設。地下に巨大な空洞を作り、その周囲を堅固な壁で多い、その中に街を築いたものだ。。
 地上へ行く通路は一つだけ。【異界人】が侵入し、地下シェルターが制圧された場合は、地上への道を閉鎖し、シェルター内に毒ガスを充満させ、【異界人】を滅ぼすようになっている。例えそこに、生存者が居たとしても。非道だと思われるかもしれないが、【異界人】との戦いを続けてきた軍は、非道なこともやらなければ勝利することはできないのだ。仕方のないことだと、或る軍人は言っていた。
 地下シェルターは一つの大きな街だ。商店もあれば学校もある。人々の暮らしを支えるため、工場や会社も存在しているが、その大本は軍だ。人々はそれを忘れ、生きている。人類が地下シェルターに逃げ込み、その事実を人々は忘れていった。初めは、地上へ出る道が一つしかないことも周知の事実だった。人々はいつ来るか分からない侵略者に怯え、暮らしていた。しかし、平和が続くと人々は忘れ去る。地上が戦場だと言うことも、ここが地下だと言うことも。シェルター生まれの子どもたちは全員、地上のことを知らない。ここが地下だという実感もないまま暮らしていた。
 巨大な街にも影はあった。富裕層と貧困層の差が激しく、地区によってはスラムのようなものが形成されている場所もある。シェルターの中で暮らせてはいるが、ギリギリの生活を送っている者たちだ。だが、大半は富裕層だ。その暮らしを支えているのが貧困層であることを彼らは知っていながら知らないフリをする。子どもはそれを知らない者が多い。年を取るごとに、察していくのだ。


 男は、眼下に広がる街を見下ろす。今の時間は夕方で、シェルター内にある学校に通う富裕層の子どもたちが下校している途中だろう。だが、建物がひしめき合い、広い道などない街ではその姿を見ることができない。人々はこの街が非道な行為によって滅ぼされることを知らない。知っている男は、そんな人たちの末路を想像して息を吐く。
 ポケットから、現在は超高級品となってしまった煙草を口にくわえ、火をつける。胸いっぱいに煙草の煙を吸い込み、それを吐き出す。その行為をしばらく続ける。
 部屋の壁には無数の標本。全て昆虫のものだが、蝶々だけが異様に多い。同じ種類の蝶々の標本をいくつも並べ、採取した場所まで細かに書かれた紙が貼られている。

「所長、軍の方からお電話です」
「……居留守」
「怒られますよ。三番に繋ぎます」

 同室に控えていた女性にそう言われ、所長と呼ばれた男は渋々電話を取った。三番のボタンを押せば、嫌悪しか感じない声が聞えてくる。

「人造人間、作ってネ」
「また、ですか。ついこの間も重傷を負った軍人を人造人間にしたばかりじゃないですか」
「今度は民間人ネ。【ウツロ】ヨ。貴重デショ?」

 電話越しに楽しげに話す相手は、軍でそれなりの権力を持つ男だ。非道なことばかり考え付く。人造人間を考えたのも、全て電話越しの相手。手に持ったタバコを指先で弄る。嫌気がさしていた。

「嫌だ」
「なんて冗談が上手いのネ。断れないデショ?」

 男は聞える笑い声に嫌悪した。顔を歪め、感情を露わにする。今すぐにでも電話を切りたかったが、頭に残る理性がそれを止める。
 深呼吸をして、煙草を吸う。息を吐き出し、男は頭を掻いた。

「どうせもうこっちに搬送してるんでしょう?」
「ザッツライト。その通りヨ」

 今時古いだろ、その言葉、などと思いながらため息をつく。
 現在、人類はどの人種でも共通言語を使うようになり、過去に使われていた言語を全て捨てた。かつて多くの国で使われていた英語もその一つだ。

「分かりましたよ」
「フフン。そう言ってくれると信じてたワ。それじゃあよろしくネ」

 切れた電話に、男は受話器を思いっきり叩きつけた。それを見ていた女性が苦笑する。そして、すかさず男の机にブラックコーヒーを置いた。

「お疲れ様です、所長」
「まったくだ」

 椅子に座り、短くなってしまった煙草を灰皿に押し付ける。そして、コーヒーを一口だけ飲む。口内に広がる苦味に安堵したが、それと同時に先が思いやられるな、などとくだらないことを考える自分がいることに気付いた。コーヒーを机に置いて、ため息をつく。

「……しばらく休憩する。何かあったら連絡してくれ」
「かしこまりました、所長」

 男は椅子から立ち上がり、静かに息を吐いた。女性が背後で一礼したのを感じながら、部屋を出た。
 廊下に出ると、慌しく職員が行き来しているのが目に入った。【異界人】との戦いのせいで、研究所はその全てが変わってしまった。職員も、非道な実験をする者が増えた。全ては人造人間の発案者であるあの男のせいでもあった。だが、それに関して男が何か言える立場でもなかった。ただ、黙って目を伏せることしかできない。なんて歯がゆいことだろうか。
 無機質な冷たい廊下を、一人寂しく歩いていく。向かうは地下シェルター。男にとって、楽園とも思える場所だ。地下へ直結する専用エレベーターに乗り込むと、欠伸をかく。襲う浮遊感。その気持ち悪さに、若干の吐き気を覚える。だが、心は弾んでいた。

 エレベーターが下りていく。地下シェルターに着くと、扉が開いた。男は下りず、階数のボタンの下にある蓋を開け、パネルにパスワードを入力していく。彼しか入れない、楽園への入り口だ。エレベーターの扉は閉まり、下りていく。無音。そして、止まった。
 扉が開いた瞬間、花の香りがエレベーター内を包み込んだ。男は胸いっぱいそれを吸い込み、吐き出した。煙草の煙で汚れた肺が、息をする度に綺麗になっていく気がした。